こんにちは、ちーさんです。
【親からの言葉】にまつわるエピソードと料理。
第十回目は、
「日曜日の洋食」
〜週末、家族を笑顔にする夜ごはん〜
食べ盛りの私たちに作ってくれたハンバーグやカキフライ、ナポリタンなどの洋食が本当に大好きだったというMさんのお話です。
是非お楽しみください✨
【3月11日】
奇しくも明日は、震災から12年目という日…産まれた子が小学校を卒業するくらいの年月です。
宮城県の女川に住んでいた母親が被災し、 生存確認が取れたのは、5日後だったと思います。
東北道の通行が許されてすぐ、物資を持って駆けつけました。
あの時の安堵の表情は、今でも忘れません。
【絆】
母は、定年を過ぎてからも町の為に働いた人です。
震災で社会福祉協議会の会長さんや副会長さんがお亡くなりになり、母がその後を担いました。
町民の方々の暮らしを守り整えるため、相当苦労したと思います。
一時は、辞めたくて辞められないと珍しく愚痴を聞いた事があります。
そんな母から、いつも言われていた言葉は、
「ありがとうと感謝して、御恩はきちんと返しなさい」
です。
忙しい世の中で、色々な人との関わりの中忘れてしまいがちな恩返しの精神。
自分が真っ直ぐ立って居なければ実行できない行動です。
その精神は、ずっと働いていた母の背中を見て育った私にも身についた様に思います。
自立、自信、努力の上に成り立ち、常に人様の為に働いてきた母。
意見の食い違いで疎遠になった時期もありますが、なんとなく時間が解決してくれた様な…
彼女のひ孫、わたしの孫の話ができるなんて幸せな瞬間であり、生きていてくれて良かったとつくづく思う日々です。
【女川】
私が育った女川は、魚介の物物交換が多く、常に磯の香りに包まれていました。
春のワカメ、めかぶ、夏のウニや鮑、秋の秋刀魚などなど、震災前は買わなくても何かしら届けて下さった方々がいらしたので、漁師さんに感謝して、海に感謝して、加工してくださる会社さんに感謝して頂いていました。
「ありがとう」は、本当に良い言葉です^_^
【母】
平日は忙しくフルタイムで仕事をしていた母。
台所を仕切っていたのは祖母でした。
料理上手な祖母の日々のメニューは、純和食。
お刺身、焼き魚、煮物、和え物と出汁たっぷりのおかずで健康的な毎日でした。
土日は、母が腕を振るう番です。
食べ盛りの私たちにハンバーグや豚カツ、カキフライ、ナポリタンやスパニッシュオムレツ、シーフードグラタンなどの洋食を作ってくれました。
しかもナイフとフォークで食べていました。
(あんな田舎なのに、私たち姉妹を県外に出す事を意識していたのでしょうか?母は、5人兄弟の長女で大学に行きたかったけれど、行けなかった話を良く聞いていたので)
カード状の料理のレシピを今でも覚えています。
祖母も「わたしはこう言うのは出来ないから」と珍しい料理を美味しそうに食べていました。
今思えば、母は揚げ物が得意だったなぁと・・。
わたしも揚げ物大好きで、小さい頃から手伝っていたので、今の世の中みなさんが「揚げ物はコンロが汚れるからやらない」とおっしゃる感覚がないのです。
熱いうちに拭けば全然問題無いし、いつも台所かピッカピカだったのも、祖母と母が綺麗に使っていたから。
そんな所もわたしに染みついた生活習慣で、ほんとうに感謝しかないです。
ありがとう、お母さん。
思い出の家庭の味は、
今のわたしのベースとなっています。
今回のオススメは、
旨みがたっぷり!女川の牡蠣を使ったみんな大好き牡蠣フライ
ぜひ作ってみてください✨
材料
※ 2人分
牡蠣 12個
薄力粉 適量
玉子 1個
パン粉 大さじ15
(タルタルソース)
ゆで卵 1個分(大きめザク切り)
新玉ねぎ みじん切りで大さじ1
コルニッション みじん切り小さじ1
マヨネーズ 大さじ2.5
レモン(又は酢 塩・胡椒)、フレッシュ野菜
おいしい牡蠣フライの作り方
①材料は、あらかじめバットやボウルに準備して置く
②牡蠣は塩水で優しく洗い、キッチンペーパーに上げ、水分をとり胡椒を少量かける
③油を170〜180度に温めておく
④牡蠣に小麦粉→卵→パン粉の順につけ、油に入れて衣がキツネ色になったらバットに揚げ、しっかり余計な油を切る
⑤サラダと一緒に盛り付け、タルタルソースを添えて完成!
もちろん、ソースやポン酢、醤油でも^_^)
さぁ、たくさん食べてね!
JBK-ITCHEN 第83弾
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